ロンドン・マークス&スペンサー店員の日記

純生のイギリス人を語ります。

多民族都市ロンドンが病みつきになる訳

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今日は前回からの流れで、ロンドンの多民族性をマークス&スペンサーを通して書き連ねようと思っていたところ、昨年6月のテロ攻撃で犯人に勇敢に立ち向い、亡くなってしまったスペイン人の両親に女王様が勲章を授与した、というニュースが耳に届きました。その勇者はロンドンの銀行に勤めていたスペイン人で、見ず知らずの女性が犯人達から無差別にナイフ攻撃を受けていた現場に出くわし、スケートボード一つで立ち向かい、彼自身も帰らぬ人となってしまったという、むごい事件でした。


さて、あの事件当時改めて思い知らされたのが、ロンドンの人種のるつぼ度のすごさでした。被害者にとどまらず、体を張ってテロリストに立ち向かった人々にも外国出身の市民が沢山いたのです。彼らの「僕はイギリス人じゃないけど、ロンドンは僕の街だから」という心意気に僕も大いに賛成したものです。


ところで、これと同じような声をどこかで聞いたな、とあの時思いました。。。それはロンドンオリンピックの時のことで、僕は実はボランティアで参加していました。ボランティアと言っても2種類あり、Games Makerという格が上の人達とその下のLondon Ambassador。僕はAmbassadorの方で、トラファルガー広場に設置されたインフォメーション・デスクで海外からの訪問者のご案内係り。


実は、このボランティアに限らず、オープニング・セレモニーに出ていた人達の中にも沢山の外国人がいました。(因みにあのセレモニー、北京のような完璧を目指すのではなく、ごく普通の人々が気持ちを込めてやる事にロンドンらしい意味があるんだ、という趣旨だったようです。)そうした外国人参加者達からよく聞かれたのが、「僕はイギリス人じゃないけど、ロンドンは僕の街で、この心の広い街から沢山のものを受け取って来たらから恩返しがしたくて」という意見だったのです。僕も勿論そういう気持ちでいましたから、皆の気持ちがとても心地良かったのを憶えています。


ここで、もう一度テロの話へ。10年くらい前に初めてマークス&スペンサーで働いた時にイラン人の同僚がいて、「日本人は勇敢だ、尊敬する」と輝く瞳で言われた事があり、テロがあるたびにそれを思い出すのです。なぜ彼がそう思うのか、というと、「だって、日本人のカミカゼ攻撃は自爆テロの先駆だろ」って。うーん、ですよね。確かに自爆ではありますが、一緒にして良いのかどうか。根本は同じでしょうか?


面白いことに、その答えの一つを、後年Sainsbury’s というスーパーで働いた時のアフガニスタン人の同僚が出しました。その時、休憩時間で一緒にテレビを見ていたところ、カブールの高級ホテルで発生した爆破テロのニュースが流れました。そこで彼はまず「あれ俺の街~」とさらっと言い、更に続けて「俺が怖いと思うのは日本人だけだよ。日本人はカミカゼをやっただろ」と。またその話か、と思いつつ「そうだよね、あれは自爆テロの元祖だよね」と言ったところ、彼にたしなめられたのです。「馬鹿言うな、カミカゼとあんな嘘のイスラムに洗脳された下等な奴らの自爆テロを一緒にするな。日本のカミカゼは教養のある日本人がアメリカの馬鹿者達から国を守る為にやった崇高なものだ」と。これはこれで、うーんと唸ってしまいましたが、如何でしょうか。


。。。等々、ロンドンにいるとこのような場面に遭遇する事になります。センチメンタルな言い方をすれば「世界市民のひとりであると実感できる街、それがロンドン」なのですが、その本当の意味は、違う文化背景の人々と考えや思いを共有し合うところにあるのだろうと思っています。そして、これがあるからロンドンは止められない、のです。