ロンドン・マークス&スペンサー店員の日記

純生のイギリス人を語ります。

階級社会イギリス

僕が最初にスーパーマーケットで働いたのは Sainsbury’s(https://www.sainsburys.co.uk/)というイギリス最古のチェーンで、かれこれ10年くらい前の事になります。参考までにこれは→ https://www.youtube.com/watch?v=NWF2JBb1bvM 、そのセインズバリーの数年前のクリスマス用テレビコマーシャル。クリスマスの日に戦争を休止して、戦場のイギリス軍人とドイツ軍人がサッカーに興じた、という史実に題材を求めたもので、クリスマスには誰でもが好意の交換を行うものなのだ、というメッセージを映像化したものです。かなりセンチメンタルですが、当時大ウケしました。


話を元に戻します。実は、この国では「君は何人なの?」と聞くのは無作法で、スーパーで働き始めてもイギリス人にずばりと尋ねられた事は一度もありません。それでも僕が日本人だと知れ渡るのはごく自然なことで、それが知れた時の反応の一つに「何でGDP世界2位(今でも2位だと思っている人が多いです)の国からわざわざイギリスに来てスーパーなんぞで働いているの?」というものがあります。更には「何でそんなに一生懸命に働くの?こんな仕事なのに」とも。日本であればごく普通と思われる働き方をするだけで、この国では地域統括マネージャーにまで噂が届くほど有名な働き者になってしまいます。これ、自慢ではないので、誤解なきようお願いします。


さて、僕はこの手の質問に対し、「日本にもスーパーマーケットがあって、当然そこで働いている人達がいるよ」と言います。そして、「日本では職種に付けられるステイタス的なレッテルはこの国ほど上下が激しくなくて、就いている仕事が何であれ、皆最善を尽くすんだよ」的な事を言います。尤も、この説明で納得した人はまだ一人もいませんが。


ところで、こうした対話に関連し僕が思い出す話が一つあります。それは僕がこの国に来たばかりの頃の事でした。


当時通っていた英語学校で、ある日の授業の教材がAlternative education、日本語で言えば既存の型にはまらない先進的な教育理念、とでも言えるでしょうか、それをテーマにしていたのです。そして、論議の対象とされたのが、そういった型破りな学校の創設者で校長を務める人の発言でした。曰く、「既存の教育方法に沿って子供たちを教育すると、スーパーマーケットのレジ係で一生を終えるような人生へ導くだけだ」と。


主にヨーロッパからの学生達はもっともらしい事を語ります。皆その校長先生の考えに賛同なのです。しかし、僕にはどうしても許せない部分がありました。つまり、「でも、誰かがスーパーのレジ係をやらないといけないでしょう。どの仕事も世の中に必要で、貴賤はなく、問題はそれをやる人が自尊心をもって一生懸命に従事するかどうだ。そして、この校長先生は教育者としてそれを教えるのが正しい姿のはずだ」と。

 

これにつられて更に思い出すのは、遠い昔、小学校で受けた道徳の授業です。例えば、次のようなものが今でも印象深く思い出されます。


教科書に出てきたその話の舞台は或る小学校で、お父さんがトイレの汚物汲み取り業をしている女の子が出てきます。ある日その女の子のお父さんが学校に汲み取りの仕事でやってきます。女の子はそれが恥ずかしくて堪らず、飛び出してしまいます。授業では、これについてどう思うか話し合いを持ちました。色々な意見が出ましたが、先生は「この女の子が恥ずかしく思うのは間違っている。職業に上下はなく、どの仕事も同じく大切だから、常に誇りを持つのが当然の姿勢だ」という結論に導いたのです。

 

今となっては古臭く、うがった見方をすれば、一億総中流の妄想を植え付ける洗脳授業だったのかもしれません。しかし、僕はこれは日本の教育の素晴らしい特徴の一つだと思います。勿論、国による思想統制に利用される懸念が常にありますから、注意が必要でもありますが。因みに、この道徳教育の話を、英語学校での体験と合わせ、この国の上流に属する友人にしたところ、いたく感動し、日本の教育に最敬礼しました。


翻って、今のイギリス社会ですが、この国は未だに目に見えない階級に縛られています。スーパーで働くのは無教育な労働者階級がやる事だと、そういう考えをあからさまに態度に出すお客さんも少なくありません。就業する側も自分達は人生の敗者だと思っています。しかし、僕はこうしたこの国の普通の人々と一緒に働くのが楽しくて堪らないですし、勿論いつも一生懸命仕事に当たっています。全く独りよがりで、事によると思い上がりであったりもしますが、これが外国で暮らすという行為を全うする形の一つ(全てではなく)だと信じながら。